二つの名前「国本」と「李」を持ち、外国人として日本で生きて来た。
習慣、環境の違いから日本で生きる苦しさを感じ、韓国へ行ったものの「パンチョッパリ」半分韓国人と呼ばれ、韓国にも居場所がないこと知る。
帰国後、李勝代で生きることが、私の居場所、アイデンティティなのだと決める。
コンペの条件は高層建築を造ること。
にもかかわらず、磯崎さんは低層建築。
その案を観た時、
私が求める自由、心の解放を感じることが出来た。
建築デザインで自由を表現して良いのだと言う。承認。凄い衝撃だった。
だから私は、心の解放を建築デザインを通して皆さんへ届けたい。
心の解放からの幸福感を建築デザインで届けたい。
そして、私が頑張る理由は、
皆さんもよくご存知のソフトバンクの孫正義さんと同じ。
孫さんも幼少期の頃、安本と言う通称名を持っていた。
おばあちゃまのリアカーに乗って残飯を貰うために街へ行。
恐らく豚の屠殺業をされていたのだと想像する。
リアカーに乗せられたドラム缶の縁はヌルヌルしていたそう。
そして、耐えがたい、いじめ。
貧困といじめから脱出するために孫さんは
中学生の時、本名の孫正義で生きることを決める。
孫正義で生き、成功することがこれから続く人の見通しとなる。
100のプラカードを掲げて人権を訴えることよりも効果的だと。
家族の反対を押し切り高校から渡米。
今の孫さんを作っている。
そんなお話を聞いた時、私の思いとオーバーラップした。
李勝代で生き、建築で成功することが、
私の頑張る理由。
本名で生き、建築で成功することが、これから続く人たちへの見通しになる。
孫さんより大分遅い気づきだけど、
これが、私が建築デザインを続ける原動力。
それが私の仕事へかける思い。
その思いをひとりでも多くの人に届けたい。
自由で幸せの場所を届けたい。